チョイ読み
【プロフィール】
エニグモ
代表取締役最高共同責任者
須田将啓
1974年茨城県生まれ。
慶応義塾大学理工学部電気工学科に進学。
同大学の大学院まで進むも、卒業後は、あえて技術者の道を選ばず、 「30歳で起業」の目標を胸に、00年博報堂に入社。
博報堂社員時代には、同僚の田中氏と『バイマ』の事業計画を進め、 04年に博報堂退社。同年、株式会社エニグモを設立。
【プロフィール】
エニグモ
代表取締役最高共同責任者
田中禎人
1974年生まれ。
父親の仕事で中学2年まで米シカゴに在住。
青山学院大学法学部卒業後は、大手アパレル会社、外資系PR会社を経て、 99年よりカリフォルニア大学大学院に留学。
01年MBAを取得、 帰国して博報堂に入社。海外生活の経験から「公開代行依頼サイト」を発案。
須田氏とともに博報堂を退社し、株式会社エニグモを設立。
2人が自身の起業を描いた処女作
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謎の会社として、いま最注視のベンチャー エニグモの原点がここにある
エニグモ代表取締役最高共同責任者 須田将啓・田中禎人
会社を作る。会社を作って、新しいビジネスを始める――。その夢を実現に移すためには、いったい何を用意すればいいのだろう。
オフィス?資金?
もちろん、両方とも大事な要素だ。しかしだからといって、それらがなければベンチャー企業がスタートできないというものでもない。たとえば楽天社長の三木谷浩史は、当時住んでいた目黒区内の賃貸マンションの一室を事務所にして会社を始めた。資金だって、本当に最初に必要な額はそれほど大きくはない。特に最近はインターネット回線が劇的に安くなり、レンタルサーバーだって数千円で借りられるようになったから、もし自宅を事務所にしてしまうのなら、自分のぎりぎりの生活費だけ確保できれば、何とかなってしまう。
たとえば私が以前取材したある起業家は、「最初の資金は、創業メンバー三人がサラ金から百万円ずつ借りてきて調達した」と打ち明けた。驚いた私に、その起業家は自信満々に言い放ったものだ。「ビジネスが成功する自信があるんだったら、サラ金から借りたって全然OKなんです。カネなんて何とでもなりますよ」
だから資金もオフィスも、実のところたいした問題ではない――そう言い切ってしまってもいいのかもしれない。
では起業に当たって、本当に必要不可欠なのは何だろうか?
それはつまるところ、ビジネスモデルである。秀逸なビジネスモデルこそが、ベンチャー企業を離陸させるカギとなるのである。とはいえ、誰も思いついていなかったような秀逸なビジネスモデルを発案するというのは、そう簡単ではない。何だか雲をつかむような「ビジネスモデル」を生み出すためには、どうすればいいのだろうか。
「エニグモ」というちょっと変わった名前の会社を起業した須田将啓と田中禎人との二人に、ビジネスモデルがふわふわと舞い降りてきたのは、二〇〇二年のクリスマスの夜だった。それはまるで「天啓」のようなものだった。
二人は当時、大手広告代理店・博報堂の社員だった。マーケティング局に所属し、席は背中合わせだった。同い年ということもあって、ときおりは飲みに行く親しい関係だったが、それ以上のものもない。
この夜、二人はJR田町駅近くの博報堂本社で夜遅くまで残業をしていた。世間はクリスマスだというのに、目の前にある山のような仕事は少しも減らないように思えた。
時計は、午後十時過ぎを示していた。その時、である。田中が突然、「あっ」と叫んだ。作業の手を止め、須田が怪訝な顔で後ろを振り返ると、田中はなんだか恍惚とした表情を浮かべていた。そうして「おもしろいアイデアを思いついたんだ」とぽつりと言った。
田中は帰国子女で、父の仕事で中学二年まで米シカゴに住んでいた。さらに博報堂入社前の一九九九年から二〇〇一年にかけてアメリカに留学し、カリフォルニア大学大学院でMBA(経営学修士号)を取得している。こうした海外生活の経験から、あるアイデアを閃かせたのだった。
アメリカで普通に売ってる日用雑貨や衣類は、日本では簡単には手に入らない。日本市場がターゲットになっていなかったり、日本法人が存在していなかったり、あるいは輸入の際に貿易商社が莫大なマージンを取っていて、信じられないような価格になってしまっていたりするからだ。日米の消費マーケットの差はなくなっているように見えて、意外とそうした日常的な部分では、あいかわらず壁があるのである。だから田中にとって、たとえば文具や掃除道具、台所用品など、子供のころからなじんでいるような日用品が使えないのは、ちょっとした苦痛でもあった。
「海外に住んでいる日本人にそうした商品を買ってきてもらって、それを売買するネットワークを作れば意外とビジネスになるんじゃないかな?」
そう田中は説明した。
須田は田中の話を聞いて、だんだんと自分でも興奮してくるのを感じていた。「在外邦人って百万人もいるらしい。この一〇〇万人をうまく活用した流通ビジネスって考えられるかもしれないな」と答え、何か途方もなくワクワクするように感じたのである。
すべては、この夜から始まったのだった。
二人は広告マンとしての本業を続けながら、夜中や週末にビジネスプランを練った。二〇〇二年当時、ちょうど流行し始めていたデジタルカメラ付き携帯電話に二人は目をつけ、「これをうまく活用できないかな」と考えた。そこから、アイデアはさらに発展していった。
「海外から商品を送ってもらうだけじゃなくて、写真を使ってお互いにモノを売り買いできるような仕組みが作れないかな」
「携帯を使えば気軽に写真が撮れるんだから、店先で撮影して、それをアップロードするとか?」
「だったらネットオークションみたいに、現物を持っていなくても出品できるよね」
そんな風にアイデアは次々と生まれ、そして数か月をかけて「BuyMa(バイマ)」という事業計画ができあがった。バイマというのはつまり、バイヤーズ・マーケットを略した言葉である。どのような仕組みなのだろうか。
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